アフタートーク

萩原雄太(かもめマシーン)


1)今回の作品を最初に思いついたときの着想を聞かせて下さい。

1983年生まれの僕の世代は、「熱くない」と諸先輩方から言われてきました。そう言われる度に「うるせえジジイだな」と心のなかで反抗してきたわけです。もちろん、口には出しません。
僕は、表面的な熱さではなく、もっと別の方面からその熱さに変わるものを追求しようとしてきました。別の方面というのは、例えば、叫び立てるということではなく、沈黙することであったり、いい声で喋ることではなくだらだらと喋ることであったりです。
昨年末に宮下公園で行われたホームレス支援者の強制排除の様子が、Ustreamで中継されていました。そこで、抗議を行っていた姿が、僕にはとても印象的に写ったんです。一人の男性が、拡声器を持って喋っていました。しかし、それはシュプレヒコールのような硬直したものではなく、「寒いんですけどー」といった日常的な身体からのものでした。この言葉を見て、僕はある種の「ダメさ」を感じました。つまり、この言葉をいくら積み重ねても、彼らは宮下公園に入ることができそうにないと思ったんです。
怒りを感じているのに、その表現の方法を持っていない。だから、彼らはああいう日常的な身体で喋らざるを得なかったのではないかと考えました。そして、その表現方法を探すことは、演劇の仕事なのではないかと考えたんです。演劇は、言葉を他者に向かって喋ることによって成り立っています。演劇作品として、僕らのためにそれを模索すべきだと考えて、「怒りを表現する」というコンセプトが生まれました。

2)どのような創作過程をたどったのですか?

稽古は、いつもどおり、YouTubeを見ながら話し合いをしていました。
例えば、三池炭鉱争議と脱原発デモ、タイのデモを比較したところ、三池やタイは参加者がどこか楽しそうなのに、脱原発デモは苦痛にも似たものを感じました。他にも、Rage Against the MachineのPVや、昨年フェスティバル/トーキョーのオープニングで行われたいとうせいこうと宮沢章夫による『光のない。』などを参照しました。どちらも、怒りを元にした表現です。
話し合いでは、試しに怒ってみたり、相手を怒らせてみたり、「怒り」の種類をジャンル分けしたりして(例えば、個人的な怒りと社会的な怒り、貯めこむ怒りと吐き出す怒り、とか)考えたりしました。普段、怒り慣れていないので、とても体力的につらかった……。
また、宮下公園の強制排除抗議活動の場所に行ったり、舛添要一の選挙応援運動の集会に行って演説を聞いたり、今回共演する外山恒一さんが行っていた「ほめご…」の体験をさせてもらったりしました。そういった、活動を体験することによって、「怒り」を「届ける」というコンセプトを方法として積み上げていきました。

3)野良は今後も継続する可能性があると言うことですが、今後どんな展開を考えますか?

来年ももちろんやりますよ! ゆくゆくは、ロラパルーザ(オルタナティブロックのフェスティバル)のように、各地を転々としながらやっていきたいですね。韓国、台湾、上海、福岡を船で巡りながらツアーするとかが、「野良」っぽくていいんじゃないかな。