レポート(1/4)


野良への第一歩は国東半島のお祭り「修正鬼会」からはじまった。
韓国から参加してくれたソ・ヨンランとパートナーのトゥアーが釜山港から福岡へ到着し、彼らと一緒に、関東組の武藤大祐と国東在住の山中カメラと共に「修正鬼会」を見に行ったのだ。なぜかと言うと、ヨンランも私もそれぞれの国や様々な地域で民俗芸能の調査をしながら作品を作っているからだ。今回のヨンランの作品も、とてもレベルの高い身体能力をそなえた彼女の視点から観察された、芸能の細かい手の動きやそこから骨盤、内蔵へと影響を与えて行く様を示唆した知的かつ身体感覚にも深く感じるところのある作品だった。しかも、韓国からの中継を入れたり、韓国と日本の地理的な距離も連想しつつ楽しめるすごく知的な作品に仕上がっていた。
修正鬼会は、遠方からたくさんの趣味のカメラおじさんおばさんが詰めかけ、一方的に見る姿勢を徹底していたのだが、途中、鬼が出てくるあたりから、見る者は「見る」だけではすまされない圧倒的な巻き込まれ方をする。安心出来る領域から高額なカメラでいいもの撮ろうという態度が保持できない、その領域からひっぺがされて極度の混乱の渦に巻き込まれる。その理不尽なまでの状況そのものがまさに祭りであり、神聖な行為でもあるのだから、誰も文句を言えない。そしてその混乱がなぜかとても神聖で謙虚な心もちにさせてもらえる。
翌朝、泊めていただいたカメラ氏の義父のお寺を見たり、修験道の修行の映像を見せていただいたりしたあと、手塚とカメラ氏とでやる予定の盆踊りもどきを作るワークショップのような作品を、みんなで試してみた。日本語でやらなければいけないので、ヨンランとトゥアは大変だったけれど、これだけ多文化な状況でもひとまず一曲できあがり、その曲でみんなで踊ったのはすごく不思議な共有感だった。
その日の夜から、ヨンラン達と武藤氏は私の家に泊まることになっていて、家で宴会をしながら様々な芸能の話に花を咲かせる。
翌日、羽鳥嘉郎氏の行う「おかず石」をやるための石を川に広いに行く。武藤氏と私と寅雄氏と、きりんと、食事を担当してくれた佐野陽子氏の5人。ものすごく寒い川で震えながら、いい感じの石を拾うけれど、藻が生えていない石を探すのがとても大変だった。でも、石を見ながら口に入れた感触を想像しながら拾って行くと、唾液が出てくる。本番では実際にやっている余裕が無かった。それが悔やまれる。口に石を入れる感触を確かめてみたかった。
本番の前日、雪のため飛行機に乗れず一日遅れで到着したかもめマシーンの二人と、ヨンラン、手塚、はぐれ雲一座、武藤大祐、それぞれに初めての会場でどのようにどこで行うか相談したり試したり。また、ドリンクを出したり、会場がかわったり、受付のやり方や席の作り方、様々な要素をどのようにするかさんざん話し合った。かもめマシーンの作品が今までに無い強度に仕上がりつつあって驚く。おかず石の羽鳥氏も石や道具を確認し、和室で行うことに決定。まだ当日パンフは仕上がってなくて、手塚の使う長い雑巾もし出来上がっていないけど、武藤氏と手塚、寅雄氏、きりんと夜は飲み屋で盛り上がってしまい、あとは夜を徹してやるしかない。
本番の日、やることが多すぎて混乱を極めたまま、ドリンク食事ブース、会場の準備、当日パンフレットもギリギリで整う。出演者も続々集まる。専門のスタッフも一人もいないままで、村のお祭りさながらの自分たちでやるしかないという合意の仕方でなんとかかんとか始まる。

レポート(2/4)

おひる 〜奇妙な味わい〜

河合拓始のピアニカと語りは本当に奇妙な味わいで、一人二役の会話から始まる。ルリタテハが後ろの足をさわられる気持ち良さが、ラの音で表現されたり、モノガタリと音が交差して最後は以外な結末、ルリタテハをお母さんとしてするめいかをお父さんとする子供が両親に語りかける思い出話で幕を閉じる。私が以前に東京で公演した「半魚人面魚」と通じるところがあって不思議な味わいだった。
労働歌は、手塚と河合氏とで企画したもので、息を合わせて人々が何かしなければならない状況があれば、そこから歌が立ち上がるのではないか?という一つの問いから始まった。でも現在そういう労働というのはなかなか無いものだ。しかも、限られた場所と時間で立ち上げようとすればなおのこと難しい。それで、本来はそういう形態での労働はないけれど作ってみた。
長い雑巾を縫い、8人で息をそろえて雑巾をかける。二つの雑巾を作って計16人に雑巾がけに挑戦していただいた。始まって間もない時間帯なのに、いきなり雑巾がをけみんなでしたいと言い出したので、客席は騒然となってしまったが、以外にもすぐに16人の希望者で雑巾は埋まった。まずは、何もこちらが提案しないので勝手にみんなで雑巾かけてみてほしいと言い、そのあと、その雑巾がけを息を合わせて楽しくするために、何かかけ声みたいな物をかけてほしい、相談する時は歌の拍子にのせて話をしてほしい、など無理難題を次々にお願いしたのですが、皆さん楽しんで取り組んでくださり、2チーム全くちがったタイプの歌が生まれて行った。すごく不思議で楽しい時間だった。
おかず石では、小さな畳の部屋でご飯を炊き、石の用意も整って自由に参加してもらった。思ったよりお客さんが次々に部屋に入っては味わって、また入れ替わっては味わいに来てくださるような、おかず石のお店のようで素敵で奇妙な時空間であった。川で拾った石たちは、どんな味わいだったのか?感想をもっと聞いてみたい。
カメラ獅子では、カメラを獅子に見立てた山中カメラがお客さんの頭を噛むというキュートで意味不明のライブとなっていた。カメラの倒錯的な利用方法にかけては天下一品で、しかも民俗芸能のように意味を瓦解して別の次元へと開いて行く力がある。
休憩のVJは大澤寅雄選りすぐりの民俗芸能が次々と映し出され、休憩にも関わらず野良始まって以来一番の集中しどころと言わんばかりにお客さんは息をのんで集中して見ていた。特におきながじっと動かずに肘を支えられている映像にみんな度肝を抜かれていた。これだけで別のイベントがひとつできそうな勢いだ。

レポート(3/4)

おやつ 〜倒錯エンターテイメント〜

おやつタイムの一番バッターは、「はぐれ雲一座」のお芝居『桃太郎』。お客さんの量が圧倒的に多くなって後ろの人は大丈夫だろうか?と心配しているさなか、ものすごい雄叫びが鳴り響き芝居は始まった。村芝居のような雰囲気のハイテンションな役者たちが演じるのはたんなる桃太郎じゃなくて、かぐや姫も海幸彦や山幸彦も、仏教的なエッセンスも、芸能人の物まねもすべて練り込まれて駄洒落やギャグの栄養になって不思議なノリを生み出していた。
おとぎの国から帰ってみたら、外山恒一氏によるトークライブが始まる。彼が今の街宣車スタイルの活動をどうやって始めたか、など、様々な法の網の目をステップ踏んですり抜けながら、芸能と言えるほどのエンターテイメント性にまで高まる政治活動の話を聞き、客席の熱気も増していく一方だ。
ふたたび山中カメラが帰って来た。おやつのカメラは一人合唱。カメラ片手に不思議な言動と歌、意味不明な手拍子の要求に客席の困惑は深まるばかり。とことん深まった困惑が、後半で次々に裏返って、何分か前の自分の困惑顔と共に合唱が立ち上がって行く。「落ち」のところでついて行けた人、行けない人、共々心地よい混乱につつまれた。
おやつのトリは関東で演劇活動をしているカモメマシーン。モニターが二つ設置されたり、作業をしている最中にいきなり一人の役者が舞台上に現れたかと思ったらだだっ子のように大声で怒り悲しんでいる。「なんでだよ」と。プロジェクターで公園の柵を撮影した動画が流れている。だだっ子がひとしきり暴れたり大声を出したりしている最中に、さきほど設置などしていた男が出てきて彼女を養生テープで羽交い締めにする。そのような行為をミニマルに繰り返す中で、「なんでだ」の声、その声を出す体は徐々に変わってくる。届かない声。届かないけれど発せずにはいられない声が見る物の奥に突き刺さってくる。

レポート(4/4)

大宴会 〜見えないものと共に〜

この部が始まる前、大澤寅雄氏によるビデオジョッキーで民俗芸能の映像が流れていた。お客さんは最初こそ遠巻きに休憩したりお茶を飲んだりしていたが、今回の上映は畳の部屋で寝っこがって見れるので畳の部屋に移動したり、徐々に興味のある人が集まって来た。
わたくし手塚夏子は、映像を見ながら寅雄氏と雑談をしていたが、そこから徐々に芸能を見ていた時に自分に起きたことを手探りし始める。しゃべりながら、手探りしていくとだんだん、体の状態も変わってくる。見ている人々の空気感も変わってくる。話題は、御薗の花祭りの中で、鬼が鉞を振り下ろす瞬間に見えない力がその場の何かを変えてしまうという、私の体感をしゃべっていたが、その時の時空と現在自分のいる時空を繋げるように行ったり来たりしながら、言葉を歌にして行った。言葉が歌になる瞬間、浮遊感がやってくる。終わった後、おひねりを直接手渡してくださる方々がたくさんいらして、その暖かさと重さを味わい幸福だった。
そうこうしているうちに、武藤大祐氏による『来る、きっと来る』が始まる。画面いっぱいに映った不気味な人形の数々から話は始まり、なんとも言えない不思議な「待つ」時間を共有したひとときを過ごす。詳細は、次回武藤氏の作品に立ち会った時のために内緒にしておきます。その時は、きっと来ます。
またまたカメラ氏登場〜。最後のカメラは『カメラ寿司』。「かめら?」「スッシー!」「かめら?」「スッシー!」と、不思議な映像と共に強要されるスッシーコールに、いやがおうにも盛り上がって行く。寿司が出来上がり必要以上にもりあがって絶頂の中、またしても不思議な「落ち」にて客席をぽっかーんとさせ颯爽と去って行くカメラ氏であった。
トリは、韓国から参加のソ・ヨンラン。韓国の友人と一緒に作ったというこの作品は、その友人達とのスカイプ通信を交えながら、彼女が始めたフラメンコや友人がやっているベリーダンスの共通点やルーツを探りながら、民俗や文化の伝播に思いを馳せ、旅をするように振り付けを踊ってみせるとても不思議なテイストの作品であった。通信がスムーズに行かないところもあったけれど、地理的な距離をむしろ感じたりしながら、体の旅と文化の旅を味わって、今回の野良が無事終了〜。
カーテンコール。というか…そのときまだ、現場にいる出演者全員がお客さんの前にならぶ。本当に、いったいどんなイベントなのだ???という感じが満載で素敵な瞬間でした。長時間おつきあいくださったお客様に感謝!そして、暖かいおひねり、お花代、ありがとうございました!お花代は、お一人50円〜20,000円まで、合計85,950円でした。この初めての感触は、本当に深くコミュニケーションをしている感じがして、お金のことについても考えさせられました。
打ち上げでわいわい飲みながら、おまけとして、みんなで盆踊りもどきをつくりました。これは本来「間にあるものとしてそこに置く」という作品名で私がつくったものですが、そこにいる人たちの中から間にある、言葉や、踊り、を立ち上げたいという思いでつくりました。マイナーコードの渋い演歌でこのような歌詞になりました。

くじらが
東京ともかく
あなたがいない
にもかかわらず
アマゾンから
サンパウロあたりまで
山となった

私は終わった後もずっとこの歌をリピートしてしまいました。
手塚夏子

アフタートーク

萩原雄太(かもめマシーン)


1)今回の作品を最初に思いついたときの着想を聞かせて下さい。

1983年生まれの僕の世代は、「熱くない」と諸先輩方から言われてきました。そう言われる度に「うるせえジジイだな」と心のなかで反抗してきたわけです。もちろん、口には出しません。
僕は、表面的な熱さではなく、もっと別の方面からその熱さに変わるものを追求しようとしてきました。別の方面というのは、例えば、叫び立てるということではなく、沈黙することであったり、いい声で喋ることではなくだらだらと喋ることであったりです。
昨年末に宮下公園で行われたホームレス支援者の強制排除の様子が、Ustreamで中継されていました。そこで、抗議を行っていた姿が、僕にはとても印象的に写ったんです。一人の男性が、拡声器を持って喋っていました。しかし、それはシュプレヒコールのような硬直したものではなく、「寒いんですけどー」といった日常的な身体からのものでした。この言葉を見て、僕はある種の「ダメさ」を感じました。つまり、この言葉をいくら積み重ねても、彼らは宮下公園に入ることができそうにないと思ったんです。
怒りを感じているのに、その表現の方法を持っていない。だから、彼らはああいう日常的な身体で喋らざるを得なかったのではないかと考えました。そして、その表現方法を探すことは、演劇の仕事なのではないかと考えたんです。演劇は、言葉を他者に向かって喋ることによって成り立っています。演劇作品として、僕らのためにそれを模索すべきだと考えて、「怒りを表現する」というコンセプトが生まれました。

2)どのような創作過程をたどったのですか?

稽古は、いつもどおり、YouTubeを見ながら話し合いをしていました。
例えば、三池炭鉱争議と脱原発デモ、タイのデモを比較したところ、三池やタイは参加者がどこか楽しそうなのに、脱原発デモは苦痛にも似たものを感じました。他にも、Rage Against the MachineのPVや、昨年フェスティバル/トーキョーのオープニングで行われたいとうせいこうと宮沢章夫による『光のない。』などを参照しました。どちらも、怒りを元にした表現です。
話し合いでは、試しに怒ってみたり、相手を怒らせてみたり、「怒り」の種類をジャンル分けしたりして(例えば、個人的な怒りと社会的な怒り、貯めこむ怒りと吐き出す怒り、とか)考えたりしました。普段、怒り慣れていないので、とても体力的につらかった……。
また、宮下公園の強制排除抗議活動の場所に行ったり、舛添要一の選挙応援運動の集会に行って演説を聞いたり、今回共演する外山恒一さんが行っていた「ほめご…」の体験をさせてもらったりしました。そういった、活動を体験することによって、「怒り」を「届ける」というコンセプトを方法として積み上げていきました。

3)野良は今後も継続する可能性があると言うことですが、今後どんな展開を考えますか?

来年ももちろんやりますよ! ゆくゆくは、ロラパルーザ(オルタナティブロックのフェスティバル)のように、各地を転々としながらやっていきたいですね。韓国、台湾、上海、福岡を船で巡りながらツアーするとかが、「野良」っぽくていいんじゃないかな。

公演は終了しました。ありがとうございました。


2014年211日(火・建国記念日)

12:00開始 21:00終了予定(3部構成)
※タイムテーブルはこちらをご確認ください。

冷泉荘ギャラリー(リノベーションミュージアム冷泉荘)
福岡県福岡市博多区上川端町9番35号

料金 お代は見てのお帰りで(詳細はこちら)

出演者 ※五十音順 ※出演者は変更の可能性があります。ご了承ください。


大澤 寅雄(文化生態観察)

かもめマシーン


河合 拓始(ピアニスト・作曲家)


ソ・ヨンラン(振付家・パフォーマー・多元芸術アーティスト)


手塚 夏子(ダンサー・振付家)


栩秋 太洋(ダンサー・振付家)


外山 恒一(革命家)


はぐれ雲一座


羽鳥 嘉郎(演出家)
武藤 大祐(ダンス批評家・振付家)


山中 カメラ(現代音頭作曲家)

出演者紹介

※五十音順
大澤 寅雄|文化生態観察者。(株)ニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室准主任研究員。共著=『これからのアートマネジメント"ソーシャル・シェア"への道』『文化からの復興 市民と震災といわきアリオスと』。




かもめマシーン|2007年設立。主な作品にAAF戯曲賞を受賞した『パブリックイメージリミテッド』、STスポット提携公演『スタイルカウンシル』、イタリア・ローマ市演劇記念館で紹介された『福島でゴドーを待ちながら』など。




河合 拓始|ピアニスト、作曲家。東京で20数年活動後、二年前から福岡県糸島市在住。各地でピアノコンサート、作曲、即興、トイピアノや鍵盤ハーモニカ、他ジャンルとの共演、ことば表現など幅広く活動。




ソ・ヨンラン|ソウルの梨花女子大学校、韓国芸術総合学校で舞踊を学び、2008年より個人での創作活動を始める。2013年に『地の神は不完全に現わる』で韓国のフェスティバル・ボム、フェスティバル/トーキョー公募プログラムに参加。




手塚 夏子|ダンサー・振付家。既成のテクニックではないスタイルの執行錯誤をテーマに舞台活動を続ける。2001年「体を観察する」というテーマに辿り着き、自身の体を素材とし実験する作品「私的解剖実験」シリーズが誕生。




栩秋 太洋|ダンサー・振付家。1973生まれ。舞踏カンパニー「山海塾」で舞踏手として10年活躍した後、個人として、音楽家との即興企画や、岡田利規、神村恵などの作品に出演する他、舞踏を基礎に原初的表現と知覚システムをテーマに創作を行なう。




外山 恒一|革命家。1970年生まれ。福岡市在住。革命家。07年の東京都知事選に立候補して、選挙制度を否定し「政府転覆」を呼びかける過激な政見放送がYouTube等に流出してある種のネットアイドルに。左右混淆反体制マガジン『デルクイ』主幹。





はぐれ雲一座|時々現れては消えてゆく"はぐれ雲"。おとぎの国の住人です。情けないほどにくだらないものの中にこそ、ほんとうに大切なものがあるのかもしれません。ないかもしれません。






羽鳥 嘉郎|演出家。1989年生まれ。「演出」の一般化を目指す。「けのび」代表。広義の演出といえる「教え」や「心がけ」をパフォーマンスワークを通して作るワークショップなど。京都国際舞台芸術祭「使えるプログラム」企画者。





武藤 大祐|ダンス批評家、振付家、群馬県立女子大学文学部准教授(美学、ダンス史・理論)。現在の研究課題は、近現代アジアにおけるダンスのグローバル・ヒストリー、およびポストコロニアル・コレオグラフィーの理論。





山中 カメラ|現代音頭作曲家・特殊写真家・パフォーマー。自作の写真、映像、歌が融合した独特の「カメラショー」をライブ形式で展開。近年「現代音頭作曲家」として、国内外で様々な人々を巻き込んだオリジナルの盆踊り大会を開催する活動を勢力的に行っている。

※出演者は変更の可能性があります。ご了承ください。